こんにちは、クロスボーダーメディア エグゼクティブビジネスプロデューサー、原です。
当メディアも少しずつコンテンツがたまってきましたが、読者の方々にはまだきちんと私のプロフィールをお伝えしていなかったので、これから数回に分けて自己紹介をしていきたいと思います。
第1回目は私の学生時代。当時のアルバイト遍歴を軸に話を進めていきたいと思います。
–もともとご出身はどちらですか?
「東京中央区の鉄砲巣です。といってもわからないと思いますが、最寄り駅は八丁堀です。汚染された隅田川のほとりでまるで今の中国のような大気汚染がひどい時代に育ったせいか、喘息持ちでもあり、大変体が弱かった記憶があります。当時300円で観れる、封切りからしばらくたって上映される2流映画館(よく行ったのは銀座文化劇場)に、中学生のくせによく足を運んでいました。当時ちょうどスターウォーズが日劇(今のマリオン)で上映された記憶があります。そんな銀座近辺をウロウロしていた中学生の私が、高校は親の転勤の都合で嫌々静岡の学校へ行くことになりました。周りはみんな坊主の中、1人だけ天パーな少年が私でしたね。」
–その後日本大学へ進まれた訳ですが、学部などはどちらでしたか?
「機械工学専攻です。日大に行くのは嫌だったのですが、付属高校のためそのままの流れで理工学部、機械工学科に入りました。当時理工系は土木・建築・機械が老舗で花形。就職にもとても有利と聞いていました。そんな中、理科系のくせに、私は当時新劇研究会と映画サークルに所属し、役者・照明・演出などの分野に熱中していたんです。」
–意外ですね!ちなみに当時アルバイトは何をされていたんですか?
「大学1年時に初めてやったアルバイトが個人宅への学習教材の飛び込み販売でした。一週間で辞めてしまいましたけどね。」
–そうなんですか!最近でもまだあるんでしょうか?なかなか厳しいバイトといった印象がありますが、、
「そうなんですよ。結構高額な商材になるので、自分でも違和感を感じながらお客さんに営業していました。そんな中であるお客さんが僕からその教材を買うと言ってくれたんです。いろいろ話をしているうちに気に入られて『家庭教師に来て欲しい』と言われ打ち解けてしまったのですが、僕自身この教材に対して高額なお金を貰うことに納得がいかず、自らお客さんを説得して買うのをやめさせました。そしてそのアルバイトからは足を洗ったんですね。」
–なかなか興味深いお話ですね。。他にはどんなお仕事をされていたんですか?
「その次は青山のレストランパブ(時給600円交通費なし)で働きました。大学2年次くらいですかね。当時は阿佐ヶ谷で家賃38,000円で風呂なしトイレ付きのアパートに住んでいまして、親から毎月10万円の仕送りを貰っていました。今親の立場になってみるとその大変さがよくわかりますよ。ちなみに、この時のバイトは遅刻するとよく尻をひっぱたかれましたね(笑)」
「でもここのシェフが親切で仲良くなり、休みの日には全く趣味でもないのに湘南にサーフィンに連れて行かれた記憶があります。」
–(笑)
「次がまた一風変わったバイトで、赤坂のアメリカ大使館の裏手にあるビル管理会社でビルの宿直をやっていたんですよ。時間は17:00~7:00までとかだったかな。23:00にはビルが閉まるので、そこから6:00位まで仮眠タイムなのですが、その時間を使って学校のレポートをやっていましたね。ちなみに当時の報酬は1回4,100(交通費なし)円程です。」
–とても若さを感じます!まだ他にもありますか??(笑)
「はい、銀座の某有名老舗喫茶店でホールスタッフを。この時大学3年次くらいかな、ちなみに時給は600円(交通費あり&賄い付き)です。日曜日はよく通しで入っていましたね。その時は脚が棒になりましたよ。」
この時大学3年次なのですが、必須単位を落としてしまい、大学5年生が確定してしまいました。4年次にまとまった時間ができたので、新たなことにチャレンジする気が湧いてきて、リクルートの営業バイトに出会ったんです。
–しかし、聞いているとけっこうヤンチャそうな学生時代ですね。
「この後から今の仕事にも繋がる経験をするんです。当時リクルートが新規事業で、ネットワーク事業の回線リセールの仕事をやっていて、そのアルバイトを募集していたんです。時給も良くて800円とかだったかな。それで週2,3回、9:00~17:00までビッチリ働いていました。」
「最初はバイトだと思って甘く見ていましたが、普通に会社のとある課に配属され、名刺を渡されスーツを買わされ、いっちょまえな営業部隊に配属されてしまったんですよ。当時リクルートから分厚いリクルートブックが家に送られてきていましたが、皆はそれを見て就職活動をするなか、私は新規テレアポ用のリストとして使っていました。アポが取れると上司の方と一緒に訪問できるんですけど、知らないうちに1人で営業することになり、営業を憶えるきっかけとなりましたね。」
–ストイックですね、、ここで営業スキルを身につけたのですね。
「更に職場の環境も良くて、周りが東大生のインターンばかりでしたが仲良く一緒に働いていました。時給+インセンティブ制で売れば売るだけ稼げるし、毎日成績発表があり一時期学生バイトのなかで上位の成績になったこともありました。この仕事をきっかけに営業が面白いと思うようになったんです。また、社員の方々とも仲良くなっていたので、社員研修旅行に同行したりもしていましたよ。」
–それは良い経験をされたのですね。
「そうですね。1年近く続けて、会社というものがどんなものなのか知ることができたのも自分にとって大きかったですね。」
「4年次にここで1年間働いて、また5年から研究室に入るので、そのタイミングで一度この仕事から足を洗いましたが、辞める前に『ずっとウチにいれば?』と言ってくれたマネージャーがいましたが、このまま僕は辞めていきました。その理由は次回の社会人編でお伝えしようと思います。」
*続きは続編にて